高野山 ひとり旅

社長のブログ

「大秦景教流行中国碑」というのは、中国の唐の時代に「ネストリウス派キリスト教」が広まっていたことを表す石碑。日本では1549(いごよく)広まるキリスト教なんて憶えるが、中国では、その700年以上前の781年にキリスト教が伝来していた。まだまだ、仏教ですら完全に浸透していないころに、すでにキリスト教は布教されていたわけで、いかに長安が国際化していたかがわかる。ユーラシア大陸は、東西で結ばれていたことを実感する話でもある。
「大秦景教流行中国碑」の建立から10数年後の西暦804年、さらに東の日本から空海が唐に渡る。日本仏教の一大聖人と称えられる彼が降り立った土地には、既にキリスト教徒がいたわけ。それから時は流れて19世紀に、

『空海が伝えた「大日」は「デウス」のことではなかったのか?空海はキリスト教に帰依したのではなかったのか?』

という発想の大転換をした人々がいる。そのうちの一人がエリザベス・アンナ・ゴードンというイギリスの比較宗教学者だそうだ。今考えても荒唐無稽な話だが、彼女は、国際都市・長安を経由して西洋のキリスト教が極東の日本に到達したと考えた。空海がキリスト教を伝えたのだと。

彼女は、その仮説を信じて日本仏教の聖地・高野山に「大秦景教流行中国碑」のレプリカを寄贈した。

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