*ハワイ島は、英国の大航海家ジェームス・クック海軍大佐が第三次太平洋探検によって、1778年に発見した島嶼で、クック大佐は優秀なイギリス系メーソン員であった。彼の発見による太平洋諸島に関する報告は、各地メーソン大結社に提出されていた。クック大佐は、その翌年ハワイ群島のカラカウアで酋長の兇刃にたおれたが、彼が残したメーソン魂はこの地に残り、1842年仏大東社のホノルル進出によりメーソン結社が創設されるにいたった。
この初期のハワイ・メーソン結社史上に現れた島人の結社員は、カメハメハ4世(1854~63)、カラカウア王(1874~91)、ジコン・C・ドミニス(女王の夫)、裁判長5名、政府役人3名、王嗣子数名などである。これら支配階級の結社加入と、当時のハワイ政情を比較すると興味深い関係を発見する。
カメハメハ1世は、白人86名の加勢によって1810年ハワイ群島の統一を完成し、同2世はアメリカから宣教師を招いてキリスト教と欧米文化を普及させ、同3世は土地を人民に分け、庶政を一新して欧米諸国から独立国として承認された。ついで王位についたカメハメハ4世はメーソン結社に加盟するほど欧米化した。このころがハワイにおける英米の暗躍が最も盛んな時代であった。
1872年カメハメハ5世が没したとき、嗣子(ちゃくし)が無かったのを機会に、王位継承の争いに英米人もからみ、ついにメーソン結社員カラカウア王を即位させた。そしてカラカウア王が米系スコテッシュ・ライト最高級階級33階級を授与されるなど、相変わらずのメーソン式操縦によって、支配階級はますますアメリカ依存に片寄り、王の没後1894年共和政体を採用し、1898年ついにアメリカに合併された。
当時のブルー・メーソン(普通結社)は仏大東社に所属していたが、1905年すべての結社は米系カリフォルニア大結社管下に移譲されて今日にいたった。